描く。

ブログと同時期にはじめた、インスタ日記。

毎日の日々の小さな学びの積み重ねが今日、大きな気づきに変わったので、今回はブログに書くことにします。

 

Visionに生きる(生きたい人生を生きる)ことと、絵を描くことは本質的に同じ。

 

僕は小さい頃から絵を描くのが好きでした。

 

小学生のときにあった市のコンテストでは未来の道路とまち?みたいなテーマで優秀賞をとり、描きたい絵を描いて親も喜んでくれて、嬉しかったのを覚えてます。その次の年も同じく優秀賞をいただきました。

 

自分でカードゲームをつくって遊んだりしてました。遊戯王には手を出さず、画用紙をカードサイズに切り、自分がかっこいいと思うモンスターや、魔法を描いたカードで弟と遊んでました。

 

中学からはアメフトを始めたので、絵を描く機会はなくなりましたが、小学校のときは絵を描くのは好きだったし、褒めてもらえたし、楽しめたし、一つ自分の原体験になってるのは間違いないです。

 

誰しも一回は図工や美術で絵を描いたことがあると思います。

 

描きたい絵を描くときに必要なことって4つあります。


①描きたい絵があること
②絵の描き方がわかっていること
③描くために必要なスキルと道具(筆、絵の具、パレット、キャンパス)があること
④その絵を描くこと

 

まず、描きたい絵がないと始まりません。

りんごのスケッチなのか、ペガサスなのか、目の前に広がる海なのか。まず、自分が描きたい絵を決めると思います。

 

例えばりんごのスケッチをするとします。

一応スケッチにはある程度の書き方っていうのが存在してて、最初に薄く線を引いたりして、大きさのバランスや、構図を定めます。そしたら薄く輪郭を描き、影をつけ、形をし濃くしていくようなイメージ。こういう方法は、お絵かき教室に通ったり、本を読んだり、図工の先生、美術の先生に聞かないと、わからないです。

 

描きたい絵があって、描き方がわかっても、筆と絵の具がなければ絵は書けません。筆と絵の具があっても、ある程度の筆の強弱をつける加減ができないと、絵がぐちゃぐちゃになってしまう。ある程度のスキルは必要です。

 

けど、描いてるうちにスキルはついてくるので、対して大事じゃないでしょう。

 

上3つが揃ったらあとは描くだけ。

描きたいという気持ちがあり、

描く方法を知り、

描ける環境が整い、

描くという行動が揃わないと、

描きたい絵は書けません。

 

まあ、当たり前のことです。

何を今更、と。

 

勘のいい人は気づいてるかもしれないですが、実はこの絵を描くプロセス、

 

Visionに生きる(生きたい人生を生きる)こと

 

と本質的に同じなんじゃないか、と思ってます。

 

絵を描くプロセスをVisionに生きることと重ねて考えてみます。

 

 

生きたい人生を生きる上で必要なこと4つ。
①生きたい人生(Vision)があること
②Visionを実現の仕方がわかっていること
③実現するために必要なスキル、環境(会社や町)があること
④行動すること

 

まず、自分がこうしたい、こうなりたい、など描きたい未来やなりたい姿がないと、そもそもVisionに生きるとは言えません。心からそう感じてることが大切です。りんごを描きたいと、思うのと同じです。

 

そして次はそのVisionを実現の方法を知らなければなりません。自分の生きたい人生を生きる人の話を聞いたり、教えをこいたり。ロールモデルになる人や、自分から見て魅力的に映る人から実現のヒントを得ないと、いつまでたってもなんとなく描きたい、のまま。絵の話で言うと、いつまでたっても、不味そうなりんごのままです。

 

実現の方法がある程度わかったら、実現のために必要なものが出てくるはずです。それはおそらくスキルや、環境や人脈。そこに身を委ね、自分を高めることが必要になってくるでしょう。りんごのスケッチで言うと、定規やコンパスが必要なことを、絵の先生から教えてもらい初めて知ることと同じです。

 

あとはやる(筆をとって描く)だけ、です。

やるだけですが、ここが一番大変。

 

 

描きたい絵を描くのには

 

描きたいという気持ちがあり、描く方法を知り、描ける環境が整い、描くという行動が揃わないと、描きたい絵は書けないように、

 

 生きたい人生を生きるのにも、

 

こんな生き方をしたいという気持ちがあり

 

そう生きる方法を知り、

 

そんな生き方を実現できる環境に身を置き、

 

その中で生き方に挑戦

 

をしないと、生きたい人生は歩めないと思います。

 

ただ、方法なんて挑戦していけば自然と身につくものです。方法探しに時間割くのはイケてはい。やっちゃった方が早い。

 

ただ、気をつけなければいけないのは、

挑戦は環境に依存するということ。

 

チャレンジが善とされるイケイケドンドンな環境もあれば、

チャレンジが悪とされる保守的で前衛的な環境もある。

 

だからこそ、この環境選びはしっかり考えた方がいい。いくら、気持ちと方法が揃っていても、それが行動できない環境に身を置いてしまうと、できるものもできなくなってしまいます。

 

4つ全てが必要不可欠です。

 

まず、生きたい人生を頭の中で描くこと。

そして実現方法をある程度知ること。

分からなかったら、イメージで動くこと。

動いてるうちに方法は後からついてくると思います。ただ、この行動は環境に依存する。自分がいる環境はすごく大事です。

 

就職活動でも同じことが言えると思います。

 

就活は就職することがゴールではなく、

 

生きたい人生を生きる為の環境選びです。

 

その環境は企業じゃないこともあれば、休学して就職をしないという選択も大いにあると思います。

 

あえて就活ワードに当てはまるのであれば、

 

生きたい人生を描く為に必要なのが自己分析

 

実現方法を知る為に必要なのがOB訪問

 

実現できる環境を選ぶときに必要なのがインターンや説明会

 

それを行動に移すのが選考、そして社会人になってから、だと思います。

 

正直僕もまだ、大した行動はできていない。

 

絵を描くことでいうと、描きたい絵があり、描く方法がわかり、筆と絵の具とキャンパスが揃った状態です。

 

いよいよ、筆を取るとき。

 

僕にとって筆をとるとは、4月を迎えること。

就活生や将来を悩む人にとって筆をとるということは、エントリーするときかもしれないし、休学を決断するときかもしれない。

 

今思うと、思ったように書けない絵の方が多かった。何枚も書き直しました。

 

筆とってしまうと、それと同じように自分の思うようにいかないことの方が多くなるでしょう。

 

そのときにこのブログを見返して、奮い立たせたいです。

 

 

 

 

 

 

 

みんな頑張ろう。そして楽しもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとうございました☺︎

 

 

必然。

時間が空いてしまいました。

 

そして3つ目。

 

想い続けることの大切さ。

めっちゃ青臭いけど、本当にこれ感じました。

 

僕の中で一番好きで、一番カッコよくて、一番憧れて、一番会いたいアーティストの曲の歌詞の一説にこんな言葉があります。

 

願い続ける想いいつか色づくよと。

心に教えてくれた、心に生き続ける人

何もかも必然の中で生まれるcolors

 

そしてライブ中に言っている、

 

口にも出せない夢は叶わないぞ。

 

この2つの言葉。

この感覚が自分のものになりました。

 

ポートランドを知ってから直感的に行きたいと思い。虎視眈々といく機会を狙ってました。

心の中に想い止まることなく、飛行機のチケットをとる前でも、機会があればポートランドに行くということを周りの人に言い続けてました。

 

そして、あっという間に過ぎた2週間。

思っていたよりも多くの学びを得て帰国しました。

 

1人でどころか、ほぼ一度も海外に行ったことがない僕からすると、それは大きなチャレンジでした。

 

やりたいことだけど、今までやったことがないこと。それが事実できた瞬間になりました。

 

なぜできたんだろうか、そう考えたときに思ったことは1つ。

 

行きたいと思ってから、飛行機を取るまで、ずっと行きたいっと思ってたから。

とにかくそれに尽きると思います。

ずっとポートランドのことを考えてることはないけど、ずっとポートランドのことを、潜在的に思ってはいた。

 

だからこそ、ふとした瞬間にポートランドに行くってことを伝えることができた。自分がしたいことのアンテナを立て続けることができたから、自然と自分が行くような環境に変化していった。

 

ポートランドという街は、想い続けたからこそ、行くべくして行った街になりました。

今ではポートランドに行く未来は必然だった思います。

 

 

そんな、3週間のアメリカ滞在の中で、今までと異なる世界で過ごした時間は、自分の価値観を尖らせ、気づくことができました。

 

大事なのは

 

自分が生きたい未来に進む、指針をもつことです

 

その中で見つけた自分が大事にしたい価値観の1つが

 

『衝動的に行動すること。』

 

衝動的に行動することは、僕の中で、小さなチャレンジを積み重ねて行く。それが自分のためになり、自分の未来を切り開いていく、という意味と、巡ってきたチャンスを自分の物にするために、想いは行動に繋げよう、という2つの意味があります。

 

これを潜在的に感じてるのと、言語化して大事にしたいことに確信を得れているときは、思考のスピードが違う。迷いなく動けるし、その行動には、なぜそうしたのか、という明確な理由があるから、自分で自分の生活を充実させていける。

 

自分が生きたい人生を歩むために、必要な価値観であり、

 

自分の人生をシンプルにして行くために、必要な価値観であり、

 

何より

 

自分が大切にしたい価値観。

 

そんな価値観を13個携えて帰国しました。

 

そして成田空港に帰国後。最後の最後にドラマがあった。

 

冒頭で伝えた自分が一番会いたい人と空港で会い、写真をとってもらうとができた。

 

車にのり、ドアになる寸前。

スーツケースと大量の荷物を携え走り、拙い言葉で自分の想いを伝え、一緒に写真を、とってもらえた。

 

なぜ、見つけることができた、会うことができた、写真をとることができたか。

 

それは自分の大事にしたいことを言葉にし、落とし込み、それベースで行動をする準備ができていたからだと思います。

 

自分が生きて生きたい未来を指す指針。

 

心のコンパスがあったから、ポートランドにも行き、その人にも会うことができた。

 

これが必然だと思いたいです。

 

 

 

対比。

続いて2つ目。

コントラストを感じることです。

よくインスタとかの画像加工であるやつ、コントラスト。
カーソルをグィーってやると、写真がより際立つっていうアレです。

要は自分の中で、様々なことに幅を持つことで、良さを感じられやすくなるなぁって気づき。良さを感じられる反面、悪さも感じられやすくなっちゃうけど。

最初ついたロスで日本のごはんの美味しさや、何かとちゃんとしてるところを改めて気づきました。けどロスは日本に比べて空が広くて、綺麗。日本育ちだから気付けたこと。

ポートランドについてからは、街並みの面白さがグンと際立ってました。それはロスの画一的な街並みを見ていたから。最初にポートランドだったら、その感覚は薄れていたと思います。ポートランドのごはんのおいしさ。日本に比べたら、まあまあ、だけど、ロスから来てたので、すごく美味しく感じました。

2つの都市を経て日本。お風呂の文化のない国だったから、家の風呂に入れることがものすごく幸せに感じれた。母親の煮物も、いつもだったらテンションあがんないけど、なんかすごい噛み締めて食べた。すごくおいしかった。

日本はいい国だからこそ、外を知ることは幸せを感じれる上で、滅茶滅茶大事なことだと思います。というか究極、いい国なってのはなく、自分が育って来た国だから単に慣れているだけで、いいと思っちゃう。

いいと思えるのって、他を知っているから。
対比ができるから。
コントラストを感じることができるから。

今は、みなとみらいに滅茶滅茶生きたいし、鎌倉にも行きたい。こんなにいい場所が近くにあるなんて、すごい。

 

コントラストを感じることで、今まで見ていたものがより鮮明に綺麗に良いものに思えます。

その意味でいろんなことを知るって大事。

 

3つ目は温泉に入ったあと書こ

帰国。

帰国しました。

いろんなことがありました。

毎日日記を書き、感じたことをワードに落としてたからトータル1万字は余裕でいってると思います。笑

ブログにせよ、レポートにしても、日記にしても、

伝えたい人がいる

ってかなりのモチベーションになるなって思います。

誰かのためにっていうのは自分のモチベーションにドライブをかけるのに、めっちゃ有効だなあ、っていう気づき。

ポートランドに行き学んだことはたくさんありすぎる。しかもいろんな学びがありすぎて書ききれません。その中でも、普遍的に感じた3つのことを書きます。

①つながりの中で生きている

単身飛び込んだ初アメリカ。一人旅です。
とは言うものの、21日間毎日誰かといました。
合計4軒のお家にお世話になりました。
4人。
4人の友達の紹介で15人前後の友達ができました。
日本生まれの日本育ちの僕は、アメリカのローカルなことはわからないけど、日本生まれアメリカ育ちの友達がいろんなとこに連れてってくれて、いろんなことを教えてくれた。
そこで強く感じたことが、つながりの中で生きてきたし、生きていること。

日本で生きること、横浜で生きること、広田で生きること、ロサンゼルスで生きること、ポートランドで生きること。

生きて行く上で究極場所なんて関係なくて、つながりの中であれば人(僕)は幸せに生きていけるんだ、って思いました。

生きて行く場所に違いがあるとすれば、つながりを感じられやすい、か、そうでないか。

ポートランドの中で日本人留学生の同族意識が強かったり(良し悪しは別として)、ポートランドの市民性として、排他的ではないことや、人がいいというカルチャーがあるのは、つながりを感じられやすい1つの要因であるかと。

田舎の小さなコミュニティがつながりを感じられやすい(いわゆる、一緒に生きている感覚がある)のも、ローカルならではの良さだと思います。

だからこそ、自分で自分のコミュニティをつくれる力は豊かなライフスタイルを築く上で大事なスキルになってくることは間違いない。つくれないとしても、まずはつながりを感じる力、見つける力を持つか持たないかで全然違うと思います。

日記、ブログを始めて、1ヶ月が過ぎ、自分の思考を泥臭くアウトプットしてきたけど、今になっては整理されていく感じが全然違う。

オススメっす。

2つ目は

コントラストを感じることです。

 

米国。

アメリカにて

今、こっちは朝の8時半。時差ボケも若干残りつつ、書いています。

 

思ってたよりも、異国!って感じはしないです。

 

アメリカから輸入された街並みが日本にも残っているだからだとは思いますが、思ってたよりも新鮮さはない。

 

ダウンタウンにある、モールなどは、ららぽーととかアウトレットとかと大差なく、歩いててもふーん、って感じ。
正直面白くはない。

 

日本と違うなあ、と思ったのは、休憩スペースがすごく多い。ベンチやソファがいたるところにあり、買い物中にも休めるようになっています。

 

ダウンタウンのショッピングならでは、だと思いますが、そこ中心にストリートパフォーマーがいたりするところは面白いなあ、と思いました。

 

今僕がいるのは、カリフォルニア州のサンタクラリタという街。

 

海よりも離れていて、山に囲まれた、空気が綺麗で治安もいいところです。

 

 

その一方で、昨日いたサンタモニカというところはいかにもカリフォルニア!というところで、海に面したビーチの周りに遊園地やショッピングモールで賑わう沖縄の北谷と横浜のみなとみらいの間のような街でした。

 

人が集まるところには、お金が集まり、お金が集まるところには、悪い人が集まる。

 

そんなわけで悪いアメリカ人に80ドル持ってかれました。詐欺にあいました。

 

ギャングにとっては、たかが80ドルですが、僕にとってこの80ドルは大きい。

 

80ドルにしては、コスパよく気づきを得ることができました。

 

経験としては、滅茶滅茶価値が高い。お得。

 

この経験と気づきはお金で買えないのに、お金で買ったみたいになりました。

 

 

気付き①
人が集まるところには、お金が集まり、お金が集まるところには、悪い人が集まる。

 

田舎に鍵を閉める習慣がないのは究極ここだと思います。


人がいないから、お金も集まらない。
お金の匂いがないところには、悪い人も寄ってこない。

 

逆にいうと、人が集まるところには、お金が集まり、お金が集まるところには、悪い人が集まる。

 

特に観光客など、地域の事情をよく知らない人が集まる場所は悪い人の巣窟になっている可能性大です。


そうなると治安維持をするためには、警察の規制などかけるしかありません。


そうなるとますます、自由がなくなる。

 

観光地は住む場所じゃないな、と思いました。
サンタクラリタよりも、サンタモニカの方が有名だし聞こえはいいですが。住むには、圧倒的にサンタクラリタがいいと思いました。

 

日本でも同じ、どこそれ?っいう街に住んだ方が、平和に暮らせそう。

 

 

気付き②
人はあまり信じない人がいい。ということをわかった上で、友達を信じる。

 

今回の自分の非は、話かけられた陽気な外人の話をそのまま、聞いていたら、いつのまにかお金を払わなければならない状況になっていたこと。普通の人は無視するところですが、基本的に性善説を唱えたい僕は、無視することができませんでした。


自分の身を守るためには、ある程度人を疑いの目で見るのは、当たり前だし、これから社会に出て搾取されないためには必要なことだな。

と思う一方で、そんな世の中だからこそ、信じることが尊くなっていくし、生きていく上で信頼関係ってめちゃくちゃ大事だなって思います。

 

知らない人を信じた僕は愚かだったですが、知ってる友達を信じない人はもっと愚かだなあ、と。

 

その時も友達は無視無視って言ってたし。

もっと人とその場を見極められるようにならないと、損するなあと思いました。

 

 

気付き③
お金は大事。

マジで大事。

クソガン萎えした。

 

 

 

はあ、また強くなってしまった。
アメリカのギャングありがとう。
俺の80ドルで、ハイになってくれ。

 

だれか、この経験、80ドルで買ってください。

意思。

コーヒーかカフェオレか、チョコレート系の飲み物が飲みたいと思い、コンビニに入った。

 

レジに進み、会計をしようとしたとき、僕は気づいた。

 

あれ、これ、飲むヨーグルトじゃん。俺、最初コーヒー飲もうとしてなかったっけ?と。

 

ごく自然に買った。恐ろしいくらいになんの迷いもなく。

 

一日に人は無意識に何千回、何万回と意思決定を繰り返している。そして、広告や宣伝など、目に入る様々な情報によって無意識を支配されてしまっている。そう、このおいしそうな、ドリンクヨーグルトピーチミックスのように。

 

そう考えたらゾッとした。コンビニに陳列されている商品、ローソンに意思決定を支配されたのだ。

 

たかが150円前後の買い物だからまだいい。

言ってしまえば、買い物はまだいい。お金は他のとこから戻ってくる。

 

本当に怖いのは無意識下に意思決定をコントロールされて時間を奪われることである。例えば就職。時間の使い方はかなり制限されることになる。休学も進学も、退職も。

 

自分が決めているはずでも、ボケーっとしてると、知らぬ間に頭いい人にコントロールされてるかもしれない。本当は自分が買いたいものではないものを買ったり、本当はやりたくないものやったり。

 

この前就活セミナー行ったとき、自己分析のやり方を、教えてくださいと言われ、何をしているときが1番楽しいか?の問いに対して、なんで?と聞いたら。うーん。となってしまった。ほとんどの人がそうだし、僕もそういうことは多い。

 

これって、自分の選択を自分の意思でなく、無意識に周りの意思によって意思決定させられているからだと思う。

 

逆もあるかもしれない。実は僕が本当に飲みたいものは飲むヨーグルトで、その潜在意識をローソンが引き出してくれたのかもしれない。その意味では、自分の隠れた気持ちを見つけ出してくれていて、ありがたい。

 

ただ、僕は今でもコーヒーが飲みたい。

でも、あんときは飲むヨーグルトをかってしまった。なぜだ。

 

いちいちこんなこと考えててめんどくさい。

もう家で寝たい。

 

飲むヨーグルトはおいしかったですf:id:soegsoe0623ap263:20171117150928j:image

 

 

 

 

 

 

 

実験。

なんでポートランドに行くの?

 

ここの問い自分の中に落とし込めてないと、もったいない気がします。

 

その問いに対しては、

暮らしの実験、とでも言ってくことにする。

 

暮らし方や生き方は人それぞれ。正解はない。

 

今となりに、電車の中でビールを飲んでる人がいます。そこにとやかく言うことはしないです。このおじさんは、飲みたいから飲んでるだから、飲ませてあげよう。

 

けど、僕はそんな、おっさんには、なりたくたい。ビールを飲むなら、夕日を沈むのを見てから飲んだり、友達と火を囲いながら飲んでたい。それか、グッドミュージックが流れる店で、ゆるり、と飲みたい。そのあとはすぐに歯を磨いて、柔らかいベッドでそのまま寝たい。

 

飲み方もそれぞれある。ってことは、暮らし方もそれぞれある。電車飲みの生き方もその中の1つ。(クサイ近いのはまた別問題)

 

けど、このおっさん。おそらく、おっさんになるまでに電車飲みが当たり前になってしまった。常識になってしまった。なぜなら、他の飲み方を知らない、もしくはしたいけど、それをする術を知らないから。

 

これって暮らし方にも言えることだと思います。

 

満員電車に乗らなきゃ稼げない。

コンビニがなきゃお腹が空く。

遠くに行くのには車が必要。

12時になっても遊ぶところがある。

8時になったらあたりは真っ暗なので、家にいるしかない。

 

都会に育った僕の当たり前は、喜界島の当たり前ではなかったし、陸前高田の当たり前でもなかった。暮らし方って、星の数ほどある。

 

けど、ほとんどの人は暮らし方を知らない、もしくは、暮らし方は知っているが、それをする術を知らない。

 

これってめちゃめちゃもったいないことだなあ、と。少しの勇気と暮らす術を知っていれば、それができる時代に生まれた、のに。

 

以上は、仮説です。多分そう。

 

どこまで、できて、どこまでできないのかをカリフォルニアとポートランドで実験してきます。

 

おそらく、ポートランドがその実験をするのに1番適しているし、1番おもしろそう。

 

まず、ポートランドは小さい。鹿児島市とほぼ同じ大きさで、都市施策で、街を小さく保とうとしてる。そして、自動車交通を抑制し、エコな街づくりを推進し、その代わりに街じゅうがライトレールと呼ばれる新型路面電車で整備されており、交通手段は主に徒歩と自転車。そのおかげで徒歩20分圏内のコミュニティがデザインされており、そのコミュニティの中でレストラン、バー、仕事場など、暮らしに必要なものは全部揃っちゃう。らしい。

 

街じゅうにはパブリックアートがそこらじゅうにあり、ライブもそこらじゅうでやってる。街行く人は、みんな地元の企業のものを身にまとっている。らしい。

 

もし、本当なら、めっちゃいい街。

エコで不便がなくて、コミュニティがあって、つながりが感じられて、地元愛もあって、自然もすぐそばにある。

 

そんな、できた、街はないと思うけど、一応見てくる。